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February 19, 2005

母校都立白鴎高校のお話

毎日アイリッシュダンスの練習話ばかりだと、読んでる人にはつまらないかもしれないので、今日は母校白鴎高校のお話。

僕が入学したときは、都立高校は学区制という制度があって、区によって受験できるところは限られていた。
その中で、白鴎高校も僕が受験したときは例外ではなかったのだが、卒業の年に他の高校に先駆けて?どの学区からでも受験できるようになったり、文系、理系のコース制を取り入れるなど、都立高校の中において先進的な試みをしていた。

(僕は生徒の可能性を小さくするコース制には、あまり賛成ではない。それはあまりにも大学合格を目標にしすぎるあまり、食わず嫌いのものを排除する目的だけのように思える。僕は今、大学院でダンス史を学ぶにあたり、どうしてもヨーロッパ各国の時代背景、思想などを調べたり理解する必要に迫られるのだが、それは高校時代に僕の中で将来全く必要ないものの認識で一番縁遠いものだった。今考えれば義務的にでもやっていたらなあと思う。)

そしてついに今年から中高一貫の都立高校として生まれ変わったのだ。
画期的なのはそれだけではなくて、日本の伝統文化の推薦枠というのもあって、かなり限定はされるが、囲碁、将棋、三味線、箏、囃子、日本舞踊、歌舞伎、能・狂言において卓越した人物に特別推薦枠の門戸が開かれるというところだ。
これらの入学者に対して、どのような教育をしていくのか非常に興味深い。是非、日本伝統文化の継承者を育て、かつ日本に留まらず、世界にも発信していける大きな心を持った人を育てて欲しいと思う。
そして、僕自身いつか何らかの形で母校に恩返しをしたいと思う。
僕がプロフィールに、白鴎高校卒というところまでわざわざ書いた理由はそこにある。
特別枠自体は今年からの制度であるが、三味線は音楽の授業で昔からやっていた。僕も実はやったことがある。
ソロの曲に三味線を選んだというのは、こういった背景があったのも影響している。

投稿者 Taka : February 19, 2005 06:35 AM

コメント

林君、お元気ですか?
私にとって高校は、自分にとって大切なものは何か、気付かせてくれた場所でした。
それまでの私は、先生の言うことはすべて正しくて、先生の言う通りに頑張ろうとする「子ども」でした。
お盆も正月もなく燃えていたバレーボールを、勉強が優先だからとやめた半年間のこと、やっぱりバレーボールがしたいんだと気付き、部活を再開してボールを打ったときのあの手の感触を、今でも鮮明に覚えています。
林君が日本に帰ってきて、「本当のこと」をみんなに伝えてくれる日を、楽しみに待っています。
私も、私らしく頑張ります。

投稿者 shoji : February 20, 2005 01:01 AM

本当のことが何なのか、僕自身わからないですが、とびきり悩ませるようなことは伝えられるかもしれません。結局のところ、自分の進む道って自分で決めるしかなく、その選択肢は、大人が大人の理論で狭めちゃいけないと思うんです。悩んで悩んで悩んだ末に出す答えには、全て正解が待っていると信じてます。僕も頑張ります。

投稿者 Taka : February 20, 2005 12:42 PM

林君、元気にやってるそうでうれしいです。
 たまたま同僚が教えてくれました。
 私も白鴎を最後に退職し何年かたちましたが、教員生活の半分をみんなと一緒にやれたことをうれしく思います。

 私たちが、言いたかった事がうまく伝わってくれてればいいのですが。
 林君の活躍を当時の教員は楽しみにしています。
頑張るな! 君らしく行け

投稿者 元白鴎教員 : June 21, 2005 11:50 PM

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